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チームの歴史 |
ローマは、セリエAの上位チームの中で、最も新しいクラブである。
1927年、アルバ、フォルティトゥード、ローマンの3クラブが合併し、ローマ・スポーツ協会(Associazione
Sportiva Roma)としてスタートした。
気品ある、調和の取れたサッカーを誇りにしてきたローマだが、それに見合った結果はなかなか訪れず、一次は壊滅的な状況に見舞われた。
1930年代になるとローマは、安定してランキング上位を占めるようになる(1931年、1936年、準優勝)。最初のスクデット獲得は1942年。30年代は、その栄光へのプレリュードだったと言える。
次に記すのは、ハンガリー人のアルフレッド監督時代の布陣である。
キーパーにマセッティ、中盤にドナーティ、マルネーゼ、ボノーミ、ウィングハーフにカッペッリーニとコーシャ、センターフォワードはアマデイ、両ウイングにはクリーツとパントが入った。
彼らは、それほど輝かしい成績を収めることはできなかった。
チームは下降線をたどり、球団史上唯一の下位リーグ降格も経験する。1951年のことだった。
セリエBで11カ月を過ごしたローマは、翌年すぐにセリエAに戻る。
1955年にリーグ3位に入り、1961年にはフィエーレ杯で優勝。
1964年、コッパ・イタリアで初優勝を飾り、念願のカップをローマに持ち帰った。
コッパ・イタリアでは、これまでに合計6度優勝している(1969、1980、1981、1984、1986、1991)。
1970年から80年の10年間は、チーム史に最も素晴らしいページをつづることになる。
2度のコッパ・イタリア制覇に加え、1983年には2度目のスクデットを獲得した。
ローマの市民は、彼らの英雄をほめたたえ、熱狂した。
ニスル・レドールム(後に会長の技術相談役に就任した監督)、タンクレーディ、ネーラ、ビルクウッド、アンチェロッティ、ファルカン、マルデーラ、コンティ、プロハスカ、プルッツォ、ディ・バルトロメイ、イオーリオが、当時の主力メンバーだ。続くシーズンは不運が重なり、オリンピック・スタジアムでのチャンピオンズ・カップ決勝でリバプールに惜敗する。
ローマは新たに、ラツィオとの競合でズデニク・ゼーマン監督を獲得し、2年間のうちにイタリア・サッカーの頂点に上りつめようとした。ゼーマン監督は、高度なショーマン・シップを発揮したサッカーをチームに浸透させ、ファンを喜ばせたが、2シーズンの成績は4位、5位に終わった。それはクラブ側との契約にそぐわず、シーズン終了間際、UEFAカップの出場権を勝ち取った後、センシ会長は監督をファビオ・カペッロに交代させた。カペッロは、ヨーロッパ中で高い評価を得ていた監督だった。
2004−05シーズンはカペッロ監督に代わり、若手の育成に定評のあるプランデッリ監督を招き、チームも若手中心となった。2003−04シーズンの中心選手、ブラジル代表のMFエメルソン、アルゼンチン代表のDFサムエル、フランス代表のDFゼビナがチームを離れた。リーグ最小得点を誇っていたDF陣がいなくなったことによりチーム力は明らかにダウンした。新たに監督になったプランデッリ氏の采配に期待したいところだ。
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チーム紹介 |
[創立年] |
1927年 |
[会長] |
フランコ・センシ |
[監督] |
ファビオ・カペッロ |
[住所] |
Via di Ttigoria,km 360000128 Roma |
[ホームページ] |
http://www.asromacalcio.it |
[チームカラー] |
ジャッロロッソ(黄色と赤) |
[サポータの愛称] |
ロマニスタ |
[スタジアム] |
オリンピコ(82,307人収容) |
[獲得タイトル] |
スクデット 3回
UEFA杯 1回
コパイタリア 7回
Superコパ 1回 |
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ローマ記事 |
2001−02シーズン、スクデットはユーベに奪われてしまった。言うまでもなく、そのスクデットを奪い返すことが今シーズンの目標である。
2002-03シーズンはローマにとって不本意な成績だった。優勝候補と呼び声が高かったにも関わらず、優勝争いにも参加できなかった。
2003−04シーズンは右サイドの名プレーヤー、カフーを放出し変わりにマンシーニを獲得した。フォワード陣は、トッティ、デルベッキオ、モンテッラ、カッサーノに加えて、カリューを獲得し一層厚みを加えた。中盤は、エメルソンを中心としトンマージ、ダクールと安定した陣容を誇っている。ディフェンダーは、サムエルを中心にパヌッチ、ゼビナとサイドを固めた陣容で昨年同様、健在である。
2004−05シーズンは、カペッロ監督がユベントスに行き、若手の育成に定評のあるプランデッリ氏になった。また、中心選手であった、ブラジル代表のエメルソン、アルゼンチン代表のサムエル、フランス代表のゼビナらがローマを去った。その代わりにフランス代表のメクセスらが入った。知名度的には明らかにローマを去ったメンバーのほうが高い。戦力ダウンは否めない。
今年は優勝争いをするのは難しいかもしれないが、チャンピオンズリーグに出場できる4位以内を確保して欲しい。
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Grazie Roma |
ローマが前回83年に優勝した時にヴェンディッティによって捧げられた歌。
Dimmi cos'e` che ci fa sentire amici anche se non ci conosciamo
Dimmi cos'e` che ci fa sentire uniti anche se siamo lontani
Dimmi cos'e` che batte forte forte forte in fondo al cuore
che ci toglie il respiro che ci parla d'amore
Grazie Roma che ci fai piangere e abbracciarci ancora
Grazie Roma, grazie Roma
言ってみてよ、お互い知らない同士でも俺たちが友達だと感じさせてくれるものを
言ってみてよ、遠く離れていても俺たちは一つなんだと感じさせてくれるものを
言ってみてよ、心の底から強く強く強く打つものを
俺たちの息をのませるものを、愛を語りかけてくるものを
ありがとうローマ、俺たちを泣かせ、俺たちを再び抱き合わさせてくれる
ありがとうローマ、ありがとうローマ |
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Roma Roma Roma |
1974年のヴェンディッティの作品で、ローマ語の歌。
Roma Roma Roma
Core de sta citta`
Unico grande amore de tanta e tanta gente che fai sospira`
Roma Roma Roma
Lasciace canta`, da sta voce nasce un coro so centomila voci
c'hai fatto innamora`
Roma Roma bella
T'ho dipinta io, gialla come er sole rossa come er core mio
Roma Roma mia
nun te fa incanta` tu sei nata grande e grande hai da resta`
Roma Roma Roma
Core de sta citta`
Unico e grande amore de tanta e tanta gente m'hai fatto innammora`
Roma Roma Roma
Core de sta citta`
Unico grande amore de tanta e tanta gente che fai sospira`
ローマ ローマ ローマ
この街の心よ
多くの人々を恋焦がれさせる唯一の偉大なる愛よ
ローマ ローマ ローマ
歌わせてくれ、この声から十万の大合唱が生まれるのだ
我々を恋に落とさせて
ローマ 美しきローマ
私がおまえを染めたのだ、太陽のように黄色く、私の心のように赤く
ローマ 私のローマ
惑わされるな、おまえは生まれながらにして偉大であり、偉大であり続けるのだ
ローマ ローマ ローマ
この街の心よ
私を恋に落とした多くの人々の唯一の偉大なる愛よ |
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